K-POP青春グラフィティ
〜大ブームの仕掛け人たち〜

2010年12月11日(土) 午後8:00〜9:30 NHK BS−2
2011年2月6日(日) 午後15:30〜17:00 NHK BS-2

「少女時代」や「KARA」「2PM」…いま大ブームのK-POP。その音楽を仕掛ける作曲家や、プロデューサーたちの舞台裏に潜入。どのように曲が作られて いくのか、これから日本を目指すアイドルたちにも注目。仕掛け人たちが、かつて聞いたという懐かしいJ-POPなど、海峡を越えて歌い歌われた、名曲の数 々をたどり、その青春グラフィティーをつづっていく。

ソウルにあるオリンピックスタジアムではアジアの人気アイドルが集結した「2010 Asia Song Festival 」が開催されました。おしりダンスのKARA (カラ)はミスター(Mr。)を歌いました。

このKARAのステージを客席から見守る二人組。KARAの作曲を手がける、ハン・ジェホ(Han Jae−Ho)さんとキム・スンスさん( Kim Seung Soo)です。

こちらはSBSの「人気歌謡」の収録風景。今、ハンさんとキムさんが手がけている女性グループ「Rainbow」が登場しました。
今、ふたりが手がけている男性グループ。7人組の男性グループ「Infinite(インフィニット)인피니트
こちらは、JYPエンタテインメントを設立したパク・ジニョンさん。プロデューサーでもあり、歌手でもあり、作曲家でもあるんです。

パク・ジニョンさんが日本に送り込むのが男性グループの「2PM」。「Kポップ最強の野獣アイドル」といわれているんです。歌は「Don't Stop Can't Stop」「Heartbeat」

こちらは「miss A」。アメリカ仕込みの強烈なビートが炸裂。「Bad Girl Good Girl」。

クラシックからジャズまで、幅広いキャリアをいかし、韓国POP界をリードしてきた作曲家・キム・ヒョンソクさん。いま作っているのは KARAのク・ハラと 「超新星」のリードヴォーカルのデュエット曲。

 

彼の代表作。韓国映画「猟奇的な彼女」の主題歌となった「I believe」。歌はバラードの皇帝シン・スンフン

 

さて・・・、そんな、KPOPブームのまっただなか、ソウルにあるキョンヒ大学で日本人アーティスト 安全地帯の初コンサートが開かれました。
かつて韓国では、日本の歌手がコンサートを開くことができませんでした。

ハン・ジェホさんとキム・スンスさんもかつては安全地帯を聞いていました。
これは安全地帯のCDの海賊盤。
かつては韓国で日本語のCDも販売できませんでした。

いまではソウルのCDショップに日本のCDが並んでいますが、戦後の韓国では日本の文化を厳しく統制していたんです。その理由は100年前にあります。


今から100年前の1910年、日本は韓国を併合。朝鮮半島の人たちを日本人に同化する政策をとり、日本の歌を歌わせようとしたんです。


当時の音楽家・パン・ヤウォル(半夜月)さんも、録音するときは朝鮮総督府の検閲を受けなければならず、日本人の気分に合わないと禁止されたといいます

当時発売を禁止されたという記録が残っているチェ・ドンウォンが歌ったアリラン。禁止の理由は「治安」としか書かれていません。

1945年、朝鮮半島では日本統治が終わりました。しかし、韓国では日本の歌を押しつけられた苦い記憶が残り、日本の文化を禁止しようということになったんです。だから戦後長い間、日本の歌手がコンサートを開いたり、CDを売ることができなかったんです。

1970年代に入っても、韓国は日本文化に対する厳しい統制が続きました。ところが、そんな中、韓国でヒットした日本の有名な歌謡曲があったんです。いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」です。「白盤」とよばれる海賊盤がありました。

昔の人はみんな知っている歌。ヨコハマ こちらはK-POPの人気グループBIG BANG(ビッグバン)。公演の最中にTOPさんがブルーライトヨコハマを口ずさみました。いまでも多くが知っている歌なんです。

1980年代にソウルの学生たちの間で、五輪真弓が歌う「恋人よ」が歌われました。セミクラシックなマイナー(短調)スタイルが好まれたとキム・ヒョンソクさんはいいます。

新人アーチストSAN E(サニー)のショーケースでは主役より人気があるK-POPの大御所・パク・ジニョンさん。彼は高校生の頃クワタバンド サザンオールスターズ桑田佳祐 の「スキップ ビート」を聞いてとても驚いたといいます。

パク・ジニョンさんはかつてオーディションに落ちて失意の日々、そんなパクさんを音楽の道に導いたのがキム・ヒョンソクさんでした。


ところで・・・

かつて日本には韓国からたくさんの歌手が進出してきました。なかでもパティ・キムさんは、1960年、日本と韓国に国交が無かった時代、日本に進出した歌手。代表曲は「イビョル(離別)」。

 

そして1977年、海峡を越え、日本で成功した韓国の歌手がイ・ソンエ(李成愛)さん。「演歌の源流をさぐる カスマプゲ」は流行しました。

そして、1980年代には、チョーヨンピル(趙容弼)さんで「釜山港へ帰れ」が大ヒット。1987年から1990年まで4年連続で紅白歌合戦に出場しました。

 

2003年にはペ・ヨンジュン主演の「冬のソナタ」が大ヒット。「韓流ブーム」の始まりました。「冬ソナ」の監督、ユン・ソクホさんはキム・ヒョンソクさんと、日本での「冬ソナ」ブームについて語りました。


いま、まだ韓国では地上波での日本の歌は全面的には解禁されていません。そんな中、2010 Asia Song Festival では、AKB48KARAと共演しました。

これからも歌を日韓交流が盛んになるでしょう。

取材 田月仙(チョン・ウォルソン)

制作 NHKエンタープライズ

製作・著作 NHK アイ・エー・ダブル